言わずと知れた超大作アクションアドベンチャーゲーム「アンチャーテッド」の三作目。
アンチャーテッド3では主人公であるネイトを操作して、インディ・ジョーンズのような冒険を体験できる。
怒涛に展開されるあり得ない危機的状況の中、死にかけながらぼやくネイトがみどころ。
もうすでにこのシリーズのファンで、今作も最高の出来だったといえる。
環境の描き方はもう現実と区別が付かないほどのリアリティ。
魅力的なキャラクターをさらに掘り下げ、常に先が気になるシナリオ。
シューター部分も随分やりやすくなったし、 協力や対戦モードも充実した。
ゲームとしてはもはや言うことは無いけれど、つい「もっとこうなら」と思ってしまう。
この「もっと!」は改善を望むものではなくて、追加を望む「もっと!」なのだ。
エキストラにあるメイキングの映像をみて驚く。
映像の中で、製作スタッフが、このゲームの1作目では本当にやりたいこと、つまり本当の意味での「体験する映画」が実現できた部分は30秒しかないんだ、と言う。
確かにゲームなので、映像を見せるだけでは意味が無いし、きちんとゲームにした上で体験を演出しなければならない。
しかし、ここまでやってもたったの30秒なのか、と思うと眩暈がしてくる。
この「体験する映画」というコンセプトを意識してこのゲームをプレイすると、確かに周囲の環境に物凄く気を使っていることがわかる。
ゲームが山場にさしかかり状況がえらいことになってきて、うわ!と一瞬圧倒される。
でもじっとしてるとゲームオーバーになるので、急かされるようにネイトを走らせていく。
このとき、背景は明らかにほとんど見れてなくて、視野は狭くなってキャラと足場くらいしか見えなくなる。
だけど、そのときコントローラーを握る手には明らかに力が入っていて、気持ちが乗っかったジャンプをしている。
一瞬でも圧倒されちゃうと、それに飲み込まれて気持ちが「入って」しまうんだろうなあ。
その一瞬を作り出せるかどうかが全てに関わってくるような気がした。
また、主人公のネイトを見ているのはとても楽しいけれど、「ネイトが面白い」と思ったとき、自分はこの”映画”を外から見ていて、”体験”からは逸れてしまうような気がする。
時々「このシーン操作するより動いてるところを横から見ていたいわ」って思うときもあって、そういう時このコンセプトの矛盾が見えたきがして、難しいところだなあと思う。
良くとれば、自分の体験も味わいつつ、ネイトの体験も横で見ていて面白いと一挙両得な感じなのかも知れないけど。
でも現状でもすでに物凄いクオリティなので、ここから先はまだこれからなのだ。
新しい次元の体験へ 「もっと!」期待したい。